今週のお題「夏休みの自由研究」

今週のお題「夏休みの自由研究」

自分が小さいころは庭に植えてあるトマトやキュウリの苗の観察とかやっていたような気がする。
毎日よく見て観察して絵に描いて、
「今日はトマトが53ことれました」
「今日はキュウリが3本とれました」
「今日はゴーヤが2本とれました」
とか、今日とれたそれぞれの実の本数も記入しながら。また、
「明日はトマトは40こくらいとれそうです」
なんてことも書いていたような。

たまに食べごろを通過してでかくなったものも発見したりする。
「今日はキュウリのでかくなったものをはっけんしました。そのキュウリはみどり色ではなく、きいろになっていて、ぼくはびっくりしました。」
なんてことを書いたような気がする。

この観察は夏休み前から始まっており、買ってきた苗を植えた時から高さを測り、身の付き具合とか見ながらどんどんやっていった。
最初のほうは成長している姿がちゃんと見えていいが、夏休みくらいになると成長が止まって実がついてとれた個数、本数を書くだけになってしまった。
成長が止まってしまったから仕方がない。様子がわからない。
人間などの動物みたいにいろいろと動き回るわけではないし、ただ止まっているだけなので書くことがない。
観察したことを書くときは、葉の色や葉の様子が変わったときくらいかな。
そして枯れるときかな。

そのままとれた実の数を書いているだけでつまらなくなった僕は、擬人法を用いた。
また、自分の様子もちょこっと書いた。
「今日は雨の日でした。はっぱたちが空からふってくる水のかたまりにたえながらがんばっていました」
「今日はかなりあつい日でした。ぼくはなえがあつさでやられてしまわないようにじょうろで水をかけました。水をかけたらみんなよろこんでいました。」
「今日はせんぷうきをつけてもちっともすずしくならないほどあつい日でした。今日はいつもいじょうにがんばって水やりをしました。かけおわったらどこかから「ありがとう」という声がきこえてきました。気のせいだったかもしれませんがたぶんトマトの声だと思いました。ぼくはしんじています。」

夏休みも過ぎ、そのあとも続けた。
そして枯れるとき。
トマトは日本では一年生植物なのでこれは仕方がないこと。
その時は僕は心の中で
「がんばってたくさんトマトを作ってくれてありがとう。キュウリもゴーヤも・・・・ありがとう」
と思ったような記憶がある。

はっきり覚えているわけではなくて、かすかに覚えている。
でもこれはしっかりと覚えている。
枯れるところを見たとき、すべての野菜を作ってくれた植物から
「ここまで育ててありがとう」
って聞えたことは。


なんてことをまだ覚えている自分。
昔のほうが楽しかったな。ほんとに。戻りたいな。

この記憶も消えつつある。いつかすべて完璧に消えてしまうかもしれない。
だけど、ときどき思い出して、この思い出は消したくないな。

そして、今度は人間に「ありがとう」って言われるようになりたいな。